偏差値73の現役高校生はむたろーの日常

偏差値30の陰キャから人生大逆転した京大生塾講師 はむ

全国模試で偏差値78を獲得したことがある現役京大生塾講師の【はむ】が学生・受験生のみんなに勉強法や体験談、過去に受験した模試やテストの結果などを提供するブログです!読者登録よろしく!(*''▽''

【合格体験記】偏差値45、E判定から京大に逆転合格できた理由

スポンサーリンク

f:id:hamutaro0627:20190524224254j:plain

皆さんこんにちは。

現役高校生改め、現役京大生 はむ と申します。

 

今回は、私が偏差値40台前半から京都大学に大逆転合格するまでの人生を、小学生時代からお話したいと思います。

 

現在、受験生の方はもちろん、新高2生、新高1生、中学生の方にも参考になる内容だと思いますので、少し長くなりますが、是非最後までご覧ください<(_ _)>

 

もくじ

 

小学生時代(普通の小学生・・・?)

かなり有利なスタートを切った小学校生活

正直、小学校に入学した時点では周りの人よりかなり学力は高かったと思います。

私の通っていた保育園がかなり教育がハイレベルで、足し算引き算かけ算までは小学校入学時点で完璧にできましたし、ルービックキューブや将棋などもできました。

 

ただ、この後、中学生時代、高校生時代の章でもお話をしますが、私は小学生時代、一切学校の勉強をしたことがありません。

もちろん学校の授業に出なかった訳ではありませんが、小学校の授業というのは落ちこぼれが出ないように下に合わせて授業を行うので、低学年の時は特に退屈で、いつの間にか授業を授業と感じることはなくなっていました。

 

授業中は自由帳に自分の好きなことを書いて暇を潰し、家に帰ればパソコンを開いてネット越しに大人と一緒に遊んでいました。

特に仲のいい友達というのは居なかったわけではないですが、今思えば少なかった方だとは思います。当時は何も気になりませんでしたが・・・。

 

ゴルフ>勉強

小学校2年生ぐらいからはゴルフを始めました。

まぁ鬼のように練習してたかと言われればそんなわけではないのですが、そこそこ練習には行ってました。

ベストスコアはバックティーから回って73。1オーバーです。

 

小学生時代にはゴルフの大会に出場するために小学校を休むことは結構ありました。

別に小学校に行ってすることも無かったんで損失はほとんど無かったと思います。

 

人生の転機 その1

小学校の6年生の夏頃だったかな、ゴルフの大会で、たまたま4年生ぐらいの時に一緒にラウンドした子と同じ組になって、自分たち同士も親同士も仲良くなっていった頃に、その友達から、とある中学校に行かないかと誘われます。

その中学校は、私立の中高一貫校で、その当時はゴルフ部がありました。

 

当然私立中学校なので受験は必要でしたが、偏差値は低かったので、入学するのに勉強は必要ありませんでした。

 

しかし、その中学校には奨学金(特待生)制度があって、小学校の模試の結果によって授業料が全額または半額免除される制度があることを知りました。

 

しかし、そのハードルは思ったより高くなく、偏差値56以上で授業料全額免除。

偏差値52以上で授業料半額免除だったのです。

 

余裕だろうと思って受けてみた小学校の模試での結果を見て私は驚愕したのです。

 

社会の偏差値が35

得意の算数も45。

一番高い理科でさえ52。

総合偏差値は40台前半でした。

 

正直、さすがに平均以上は優に超えると思っていた私は、かなりのショックを受けました。

しかし、このままではどう考えても奨学金がもらえるレベルには達しませんので、私はこの時に、人生で初めて塾に通うことになったのです。

 

人生で唯一の塾生活は・・・

私は生まれたから現在まで、塾に通ったのはこの小学校6年生の数ヶ月間だけです。

当時は特に勉強に対して熱意があったわけでも無く、周りのみんなが通っていて自分も行ってみたいという思いと、授業料が少しでも安くなればという思いだけで塾に通っていました。

 

週に4回、先生1人に対して生徒が2人という形で国語・算数・理科・社会を教えてもらっていました。

その当時ですら、特に塾に通って学力が上がったとは感じられませんでしたし、今から思い返してみても、あまり意味の無いものだったなと思っています。

 

結局、中学入試までに行われた3~4回の模擬試験で1度も偏差値52を超えることができずに、特待生としてでは無く、一般生徒として中学校に入学することになったのです。

 

 

中学生時代(人生を左右する出来事の連続)

入学して初めての定期テストで…

特待生にはなれなかった私ですが、私のクラスはその学校の中では一番賢いコースで、24人のクラスでした。

その中に全額免除の特待生が5~7人ほど、半額免除の特待生も5、6人居たような気がします。

というわけで、少なくとも中学校入学の時点では、たいしたことの無い中学校の真ん中より下にいたというわけです。

 

別にこの時点では特に何も思っていませんでした。「賢い人もたくさん居るんだなぁ…」ぐらいでした。

 

しかし、入学して2ヶ月ほど経った時、初めての定期テストがありました。

小学生の時はテストの勉強なんてしたことが無かった私ですが、さすがに年に5回しか無いテストで成績が決まるわけですから、全く勉強しないで試験に臨むわけにも行かず、一応一週間ほど前からテスト勉強をはじめ、ある程度の準備をしてテストに臨んだわけでありました。

 

テストも無事に終わり、テスト返却がなされた後の最初の学年紙に、クラスごと、教科ごとに成績上位者が掲示されました。

 

するとなんと、私はクラスで総合4位ではありませんか。

 

5教科、500点満点の420点だったのを覚えています。(実はこんな点数でランキングに載ることができた回はこれが最初で最後なのですが…)

 

一瞬は嬉しかったです。

あんなに特待生たちがたくさん居たのに、その中で4位になれたわけですから。

 

しかし、私の中には喜び以外に怒りの感情も生じたのでした。

 

「なぜ、入学から2ヶ月しか経っていないテストで自分より下の奴らが特待生で、クラス4位をとった俺は特待生では無いのか。」

 

そう思いましたが、時すでに遅し。入学した瞬間に特待生の授業料免除は3年間確約されており、入学後に新しく特待生になることは出来ないのでありました。

 

恵まれたクラスメイト

ただ、私がこの学校に入って良かったと思っている事のうちの一つは、クラスメイトに恵まれていたことです。

 

自分たちの上の学年も下の学年も学力としては高くなく、中学校時代のトップ層が高校に上がると学年の中位層まで落ちるほどでした。

しかし、私の学年(特にクラス)には、僅か25人程度のクラスの内、この学校としてはかなりの高実績である、のちの旧帝大合格者となるクラスメイトが複数人居ました。

 

もちろんクラス全体のレベルとしては決して高いとは言えませんが、そういった自分と同じポジションで学力を競い合える仲間がいてくれたことは、私の受験人生の中でとても大きなことであったと思います。

 

高校受験・・・

中高一貫校なので、高校受験はしなくても内部進学できるのですが、一応高校の奨学金(特待生)制度のために模試は受けました。

大体この時点で偏差値が一旦65ぐらいまでは上がっていたと思います。(当然高校に上がった途端一気に落ちるのですが・・・)

外部の進学校に行くこともできましたが、私はあえてこのまま内部進学をすることを決めました。

 

そしていよいよ高校に入学します…

 

特色入試でアピールした高校生時代

1年生

高校に入学すると、内部進学の子と外部から来た子が一緒になって授業をします。

もちろんテストも同じなので、学年が始まって最初の模試の結果で学年順位を見ることが出来ました。

 

その結果は、学年14位。全国偏差値54(全体では300人ちょっとだった気がしますが、下位層がたくさんいるので分母の多さはほとんど関係ないです。)

 

この順位と偏差値をみて私はわくわくしました。

 

「自分の上に13人も自分よりも賢い人が居るのだ」と。

そして、いつかはこの中でトップ争いがしたいな。と思っていました。

 

が…

 

その次の模試。確か5月ぐらいにあったと思います、

その時の学年順位を見てみると…

 

学年6位 偏差値57

 

別に特に勉強したわけでもない。なぜこんなに急に順位も偏差値も上がるんだ?

 

私はこの時確信しました。

 

「中学のときも高校のときも、受験が終わった瞬間に燃え尽きて一気に学力が下がる人が思っていた以上にいる」という事を。

 

そう、中学校の時も、学力が低い人が特待生として入ってきたわけではなくて、入学した直後にその人たちの学力が急降下していただけなのです。

 

「この時期は普通に授業についていっていれば勝手に偏差値なんて上がる!」そう思いました。

 

そんな私の予想は的中。

 

次の夏の模試、秋の模試と時期が進むにつれ、私の学年順位はどんどん上がり、全国偏差値もどんどん上がり…。

 

ついには、学年2位、全国偏差値60まで上り詰めたのでした。

 

2年生

2年生に入るともう私のライバルは中学時代からの友達2人に絞られます。

一人はのちに京都大学の医学部人間健康科学科に前期入試で合格した女子。

もう一人は北海道大学の工学部後期入試で合格した男子です。

 

2年生に入ってすぐの模試で、私は初めて学年1位の座を獲得してから、この3人で上位3位を独占し、切磋琢磨しながら勉強に励んできました。

学力だけの話ならば、ここから先はもうこれといって特別な事が起こるわけではなく、3年の受験期まで一直線に進んでいきました。(もっとも、京大に一般入試で合格できる学力までには到達してなかったとは思いますが(;^ω^))

 

特色入試でのアピール点を稼いだ高校生活

この先の3年生時代では、勉強面で特に変わったことはありませんでした。

普通の京大受験生のように問題集、過去問をこなし、センター試験対策もちゃんとしていました。

が、わたしが普通の京大受験生と違うのはここからです。

 

高2の秋、数学の先生からクラス全体にあるお知らせが出されました。

「数学オリンピックの予選があるので、出てみないか?」と。

 

その数学の先生は京都大学出身で、非常に数学熱心な先生でした。

もちろん私はそんなの出たところで入賞できるはずもありませんし、休みの日に3時間も潰されるの嫌だったので、出ないつもりでいました。

 

が、その先生が熱心すぎて、逃げても逃げてもしつこく追いかけてきたので、(普通に良い先生なんですよ笑)友達と一緒に仕方なく参加したのでした。

 

特色入試でアピールした高校生時代 続き

 

特色入試アピールポイント 続き

 

そんなこんなで数学オリンピックの予選に出場することになった私ですが、さすがに何もせずに行くわけにはいかないと思い、過去問を1年分だけやってから行こうと思いました。

 

数学オリンピックの予選は、12問出題、制限時間は3時間。

答えのみ記述する方式で、点数は1問1点のオールオアナッシング、部分点はありません。

過去問の年度の結果としては、トップが9点~10点、予選通過ライン(上位10%~20%)は6点からだったような気がします。(全国の数学の猛者たちが集まっても半分取れれば上位10%台に入れるぐらいの難問が出題されます。)

 

まぁ軽い気持ちで過去問を解いてみると…。

 

「なんだこれ…全然分からん…」

 

そう、数学が得意とはいえ、普通の高校に居る私が解けるはずがありません。3時間考えるまでもなくギブアップ、結果は12点中の1点でした。

 

「全国見てみればこんなのを軽々解ける人がいるんだなぁ」と、特にショックを受けるわけでもなく、逆に変なプレッシャーも無くなり、本当の暇つぶしのつもりで本番を迎えたのでした。

 

まさかまさかの…

そして本番当日、座席について試験がスタートし、「どうせ解けても数問なんだから楽しんでゆっくりやろう」と思いながら最初の1問目に取り掛かると10分程度で正解にたどり着きました。

その後も1問ずつ時間に追われることなくゆっくり解いていくと、気づけば最初の2時間で6問を解き終わっていました。

 

私は図形が苦手なので、図形問題や後半の超難関問題はすぐに見切りをつけて飛ばしましたが、残りの1時間はその6問の見直しと、あと1問取れそうな問題へのチャレンジに時間を充てて、3時間の試験が終了しました。

 

「思ったより出来た!」そう思ってその日は帰りましたが、後日結果が送られてくると、なんとなんと…

 

12点満点の6点! 予選通過まであと1点ではありませんか。

 

正直少し悔しさは残りましたが、それよりもそんな点数を取れていたことに衝撃を受けました。

 

そしてなんと、予選未通過者の中で地区ごとの成績優秀者に与えられる地区表彰を京都地区で受賞したのでした!(6点獲得者のみ)

 

特色入試でアピールした点 続き

数学オリンピック予選で京都地区表彰というアピールポイントを獲得した私ですが、それだけではありませんでした。

 

高校3年生の夏、普通に授業を受けていた私に、またしても数学科の先生からお声がかかります。

京都・大阪数学グランプリというのがあるんだけど、出てみない?」と。

そう言われてまず最初に「こんな受験勉強の忙しい時に、そんな大会に出てる暇なんかないやろ…」と思いました。

そして例のごとく、先生の誘いから逃げ回っていたのですが、その先生が僕の周りの友達を片っ端から誘い始めて、その子たちが折れて参加を決めたことを良いことに、僕に「○○君も○○ちゃんも参加するから参加しようよ」とまたまたしつこく追いかけてきたのでした。

 

そういう訳で仕方なく今回も参加する羽目になったのです…。

 

そしてまたまたまさかの…

そうなんです、実際に解いてみると僕の好きな問題ばかり。

知らないと解けないような問題はほとんど無く、頭の柔らかさや発想の転換が重要になるような問題ばかりで、そのような問題が好きな私は5問中3完1半を達成してしまったのです…。

 

そしてその大会から1ヶ月ほどたったある日、私は校長室に呼ばれ、怯えながら中に入ると、校長先生から祝福の言葉が。

そうです。参加者の約5%ほど(だったはず…)の入賞ラインに入ってしまったのです…。

 

正直、僕が京都大学に特色入試で逆転合格した要因のほとんどが、この2つの数学大会での入賞だったような気がします。

実際、この僕がとった成績というのは、全国的に見ればそこまで飛びぬけて優秀な成績という訳ではないのです。

数学オリンピックでも決勝に進出し、世界大会に日本代表として選出されている人もいますし、数学グランプリでも、僕よりも上の賞を取っている人は沢山います。

 

ではなぜ僕はそこまで大したアピールポイントがなかったのに逆転合格できたのでしょうか。

 

私が特色入試での自己推薦書に書いた事 まとめ

 

今までいろいろお話をしてきましたが、結局のところ、この記事が役に立つ人というのは、これから京都大学の特色入試を受験しようと思っている方、もしくは他大学のAO,推薦入試を受験しようと思っている方だと思います。

 

その方々が一番求めているであろう、自己推薦書の内容をほとんどそのまま載せたいと思います。

 

Question:課題研究や課外活動における顕著な実績の概要を書いてください。(グループで実施したものについては、志願者本人の役割、貢献内容を明記してください)

 

Answer:

高校1

SGS(SGH(スーパーグローバルハイスクール校)であった私の高校が、高校1年生時に取り組む、1年かけて行う自由研究みたいなもの)でのハエトリソウの捕食についての研究(発案・企画・プレゼン用シートの作成)+SGH発表会での発表

 

・アメリカ研修旅行15日間単独ホームステイ&学校交流)

・英検2級取得

 

高校2

・イギリス研修旅行2週間ホームステイ&学校交流)

・数学オリンピック道場 参加

・数学オリンピック Bランク 京都地区表彰

iCeMS(京都大学の研究所の一つ) 見学(学校の行事として)

 

高校3

・京都大阪数学コンテスト 奨励賞

iCeMSキャラバン参加(学校の行事として)

GTEC for Students 600点台(細かい数字は忘れました(;´Д`))

 

ざっと以上のようなことを自己推薦書のうち、『顕著な活動実績』として書きました。

 

よく見ると、上で書いたことのうち、ほとんどは学校の行事、イベントなのです。

ただ、強制参加ではなく、任意参加のものが多くあります。

 

私の個人的な意見ですが、大学側は『普通の高校生活を送るだけならしなくていい事を、どれほど自発的に経験をしようとしているか』という事を重要視していると思います。

 

今この記事を見ている高校生の皆さん。

一瞬「めんどくさいな…」と思う事でも、後になればとんでもなく大きなものとなって返ってくる事はあります。

 

僕の場合、たった3時間の数学の大会、2週間の短期留学、1日のイベント、1回のGTEC…

このような小さなことが、京大逆転合格という本来は到達できなかったところにまで僕を辿り着かせてくれました。

 

拾えるチャンスは全て拾っておきましょう!!

 

ご精読ありがとうございました<m(__)m>